難波宮復元
大化の改新とゆかりのある前期難波宮を復元させるために、阪神高速と中央大通りを吊り橋に架け替える妄想です。なぜそんなことをするのか?以下で説明していきます。
現在の難波宮
難波宮は大阪城の南に隣接する位置に存在していました。
下記画像で赤で示されているのが前期難波宮の遺跡がある箇所です。
ちなみに青色は後期難波宮です。
画像元:大阪市HP, https://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000442572.html
難波宮を横切る阪神高速は、地下に眠る遺跡を壊さないようにこの部分だけ杭を打たない構造として、地上区間となっています。
奈良県で現在行われている平城宮復元のように、難波宮を復元させるためには、阪神高速と中央大通りが邪魔になってしまいます。
実は、中央大通り、阪神高速は過去に吊り橋構造での建設が構想されたこともあったそうです。
動画元:もへじさん, 【20車線の市道 後編】中央大通 大阪市道 築港深江線
ということで、この難波宮の区間を吊り橋にしちゃいましょうという妄想です。
都市内に吊り橋があるというのも面白いし、難波宮の復元もできて一石二鳥!
ではないでしょうか。
もう一つの問題
しかし実はもう一つ問題があって…。
画像元:https://www.cielia.com/m/uemachidai112/history/ああ…。そこにタワマン建てちゃうんだ…。タワマンは好きなんですけど…、でもそこは…。後期難波宮なら被りませんが、でも個人的には前期難波宮の八角殿が好きなのだ。
なんとかなりませんかね…。
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